お店のBGMなど気にならない時もあるし、ふと「懐かしい」感じが沸き起こるときってありますよね?
特定の曲と「思い出」がリンクしてるって感じでしょうか?
「音楽と体験が結びついている」とても重要なのです。「思い出=体験」が楽しかったのか、辛かったのか・・とかで印象が変わりますよね?
実は(特定の)「言葉と体験も結びついています」音楽と同じです。しかし、言葉は音楽と違い日常的に自分も使い続けているのであまり意識的ではないかも知れません。少々荒っぽく表現すれば、食べ物の好き嫌い、人の好き嫌い、動物の好き嫌い等も同じように「あなたと関係付けられています」このブログでは会話、対話を中心に扱っていますので、食べ物等は脇において置きましょう・・・
例えば「初恋」という言葉があります(「初体験」でもいいですよ)。どんな感じですか?何か思い出しましたか?名前とか、場所とか、その時の会話とか、風景とか感触とか再体験出来ますか?しばらく「懐かしんで」下さい(笑)・・・・
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そろそろ宜しいでしょうか?(爆)
初恋という言葉は「初恋を体験」しなければわからないのです。
「なんかこう、モヤモヤした感じとか、ふわふわした感じとか、ドキドキした感じとか・・・」
上手く表現できない感覚があなたの内側で沸き起こってきて、その時「この」体験と「初恋という言葉を結びつけるのです」(体験の言語化)
ついてきてますか?ちょっと回りくどい書き方してるので心配です(爆)言葉が後付けです。これ重要です。
で、なぜこのようなエントリーを書いているかと言えば、
「言葉」は人それぞれ「違う体験」なのに「同じ言葉」を使うからです。
「初恋」で嫌な思いをした人が居ます、いい感じだった人も居るでしょう?微妙な違いがコミュニケーションにおいて差異が生まれるところですね。同じ音楽を聴いて「悲しくなる人」と「優しくなる人」が居ても不思議ではありませんね。
誰かの話(言葉)にも同じように、あなたとは差異があります、少し注意深く聞いていれば、とても気持ちの良い会話が楽しめるはずです。微妙な違いが感じ取れるようになると「あなた自身」と「誰か」の関係はよくなるでしょう。
楽しんで下さい。
よい週末を・・・
特にあなたにとって取るに足らない話だとしたら・・・話を聞かない人は得てしてそういう傾向がありますし(笑)
それでも、相手の話を聴き続けましょう。
あなたが誰の話でも苦痛なく聴ける人だとしたら、あなたの周りには多くの人が集まることでしょう。
多くの人はわかちあい、わかりあいたいのです。話の内容があなたの意にそぐわないとしても・・・
コミュニケーションは「わかりあえない時にだけ必要なのです」
意見が対立することもあるでしょう。見解が違うこともあるでしょう。だからこそコミュニケーションが必要なのです。
「意見が対立するこ事」と「人が対立する事」を混同してはいけません。とても重要なポイントです。戦うためのコミュニケーションは不毛です。おそらく歴史上の争いが起こった理由はこの一点に集約されるのではないでしょうか?愚かです。
聴くことに本来テクニックは不要でしょう。素直に聴けくだけで十分でしょう?
なんとなく分ってもらえますか?精神論ですが、これまでの記事を読んでいただいてるならもしかしたら理解してもらえるかなぁ・・・
12月も後半ですね、お身体大切に!!
]]>「面倒だな・・」「嫌だな・・」「申し訳ないな・・」といった感情があなたを支配している事でしょう。しかし良く考えてみると実はまだ何も「起きていない」のです。この感情はあなたの思考やイメージによって「あなたの内面」に作り上げられたのです。他の誰かが作った感情ではありません。だとすれば感情の作り手であるあなたは、もしかしたら「感情を作り変える」事ができるのではないでしょうか?
そもそも、ネガティブな感情はどのようにして発生したのでしょう?あなたの「過去の体験」が「自動的に」イメージとして出来上がるように設定しているのかもしれません。もし「過去の体験と、これから体験する出来事」が全く同じなら合理的です。しかし全く同じ体験のはずがありません。「似たような出来事」のはずです。
他方、好きなことを始めようとする時「わくわく」します。これから体験する事に対してポジティブな感情を作っているのですね。これもまたあなた自身が作り上げています。ポジティブであれネガティブであれ、「感情はあなたが作り上げる」のです。どちらの感情がアクションに弾みがつきそうです?答えは簡単です、「ポジティブな感情」ですね。
では、どうしてネガティブな感情を作るのでしょう?単純に表現すれば「過去に役にたったことがあるから」です。誤解を招くかもしれませんが、その感情を「あなたは好んでいる」のです。「不安」になるのが好き、「嫌な気分」になるのが好き・・なのです。過去にこの感情を作ることで「学習した体験」があるからです。人はどんな事をするにしても「肯定的意図」を持っています。
これから起きる出来事にたいして、アクションに弾みを付けたければ「ポジティブな感情を作りましょう」お決まりのパターンから抜け出せて全く違う結果が手に入るかもしれませんよ!!
]]>馬鹿、莫迦 バカ、baka・・・文字はどうでもいいです。ここでは馬鹿を使います。馬鹿と無知は違うというのはわかると思います。「無知は知れば」馬鹿ではなくなるのですから・・・
では、みなさん、一人でも二人でも馬鹿を思い浮かべて下さい。
馬鹿にも色々あるのでちょっと区別しておきましょう。あなたのイメージした馬鹿はどんな馬鹿か確認して下さい。(勝手に区別してるのでなんとも言えませんが:笑)
2-1:パーソナルな場において(知人)
とまぁ自分勝手な人というか、「自分の常識」だけでコミュニケーションをとろうとする人が多いのではないでしょうか?KYな人もこの中に入るでしょう。人の話を聞かない人は大抵この区分に入りそうです。
「あなたの常識外の人」=馬鹿となります。
2-2:パブリックな場において(知人ではない)
こちらは「社会通念において常識外な人」「社会一般から見ると非常識な人」となるでしょう。こちらも決して愉快になるわけではなく、「不愉快」あるいは「不快」になるので「馬鹿」なのかもしれません。しかし2-2は所詮知らない人ですから、そのまま放っておけば「我慢」ということで収まるかもしれません(居酒屋であまりにもうるさくて「ちょっと静かにしろ」とか言って関係を持つと面倒なことになることもあるでしょう?)
「社会の常識外の人」=馬鹿となります
ここまでは昔の歌(古っ:爆)にあったように
♪「右を向いても〜左を見ても〜馬鹿と阿呆のにらみ合い〜」となるのでしょう?
3. そして、最も判断に困るのが実は馬鹿なのかどうか判断できない人が居ることです。「馬鹿と鋏は使いよう」といわれる程度ならまぁそれなりに対応もできるでしょうが、あなたの常識外であるばかりではなく、社会通念上の常識外だとしたらどうでしょう?
まず、この手の人に出会うと「愉快ではありません」しかし「不快でもない」のです。とちらかといえば「引く」さらに激しくなれば「ドン引き」です(笑)
人は初めて出会う出来事に対して「恐怖」「不安」を抱くのが通常です。だからこそ「あなたの常識外の人に出会う」と近づくよりも避ける行動をとりたがります。
あなたの前に知り合いが現れて、あなたに次のように伝えます
「君の見てる世界は天地が逆転してるんだよ」(空が下で地面が上)ってね・・・
あなたはどんな反応をするのでしょう?「はぁ??」となりますか?それとも「その通り!」となりますか?それとも「馬鹿じゃない!?」となりますか?
さて、コペルニクス(天文学者)をご存知ですね、天動説(地球中心説)から地動説(太陽中心説)にパラダイムシフトを起こした人です。それまでの常識を文字通り180°変えてしまった人です。コペルニクスは馬鹿ではないでしょう?しかし、彼の主張を社会はすぐに受け入れることができたでしょうか?
「おおもの」か「おおばかもの」か区別できないかもしれません。そして「避ける」対応をする人が多いのです。
簡単な考察ですが(それも私の勝手な:笑)
馬鹿にもいくつかのモデルがある気がしませんか?冒頭に書いたように此処に書いた理由は「あなたの周りにも必ず居る」ということです。すべて「馬鹿」というラベルを付けるのではなく、異なったラベルを付けると違う対応ができるかもしれません。それでも対応が無理なら「その人から離れて下さい」なぜなら、「あなたがストレスを溜めるのはどうしても避けなければならない」からです。
最後になりましたが、この記事を書いてる私は多分馬鹿です、なぜなら、「ゴルフを優先する、ゴルフバカ」だからです。この手の馬鹿は大勢いるので安心してるのが大馬鹿なんです。もちろん他でも折り紙付きの馬鹿といわれても気がつかないのですが(爆)
]]>私達の脳が適当に処理することで、私達が環境に対して適切に(都合良く?)対応できるのです。
「聴く」のはテキストベースのblogでは困難なので厳しいですね。お目にかかればリアルに「話をいかに聴けていないか!」を痛感していただけるのですが(笑)
時間があればこちら「空目」もご確認下さい。
]]>面白き こともなき世に 面白く すみなすものは 心なりけり (高杉晋作)]]>
「面倒だな・・・」「まいったなぁ・・」「あーあ・・」・・・・ 「よっしゃ!」「次ぎ行ってみよう!!」「よォーし・・」・・・なんとなく違いがあるでしょう? 私達は感情をコントロールするだけで行動に変化を起こすことができるのです。感情は自分自身で作っているからこそコントロールできるのです。結果に対するイメージや状況を先に味わうことも大切です。ネガティブなら「嫌な感じ」になってるはずです。ポジティブなら「いい感じ」になってるはずです。 そして、ネガティブな感情を持ったときにこそ、「感情とコト(状況)を切り離す」です。これを結びつける必然性はどこにもありません。 あえて言えば「あなたの癖」でしかないのです。自分が積極的・建設的になれるなら好ましいでしょう、逆なら「その癖」を変えてみるのも悪くないかもしれません? 明日は月曜日、雨で寒く、おまけに朝一からクレーム処理、更に風邪気味で少し熱があるとしたら? 会社休みましょう(爆) こちらも少し関係するかな?「リーダには・・・・」]]>
日常的なコミュニケションの中で大多数の方は「質問そのものを意識してはいないかも知れません?」
「今日の晩御飯何にする?」「今度のお休みどこに行く?」「もう○○は終わったの?」「○○って知ってる?」・・・これらはすべて質問の形式になっています。(もちろん少しずつ意図は違いますよ)
さて、「良い質問」とはどの様な質問でしょう。一言で言えば「素直な質問」です。
「知らないことを質問する」「興味・関心のあることを聞く」・・・このような質問はとても素直な質問です。
当然、「あなたは良い聴き手」になっています。そして、お互い十分な意思疎通が行われ、信頼関係が築きやすくなります(職業的にはラポールをとると表現)。要するに「本当に自分の聞きたいことを尋ねる」質問です。どちらかと言えば「教えてもらう」に近いかもしれません。
他方「変な質問」(←「悪い質問」としていないのはチョットわけがありますが・・・)とはどの様な質問でしょうか?
「ためす質問」「嫌味な質問」「自分が話しやすくするための質問」です。
「相手の”何か”を計るために探りの質問」・・・「○○は当然できますよね?」「○○は知ってますよね?」
「結果が既知な事を問う質問」・・(宿題がまだ済んでいないのを知っていて)「宿題はもう終わったの?」
「準備の質問(自分の話をしたい)」・・・過去記事「話を聞かない人に話をする」を参考にして下さい。
その他にもこれに類似する質問の仕方は多数存在します。しかし、これらの質問は一概に悪いと言い切れない質問です。そこには微妙な駆け引きや話題の展開などがあるため、脈絡(その場の雰囲気、今風に言うなら空気です)によって有効な質問なのです。
「良い質問」と「変な質問」なんとなく違いがありますね?
ちなみに上記の質問例で「宿題に関する質問」で、まだ宿題が済んでいないこと知っていても、
「宿題終わったの?」
「宿題難しかった?」
「宿題は易しかった?」
「今日の宿題はどんなのだった?」
・・・・と色々質問の仕方があるでしょう?
宿題に限らず、仕事上でも、いつでもどこでも誰とでも、
「今までと同じ相手」に
「今までと違う質問の仕方」で
「今までと違う答え」が返ってきます。
答えが自由に表現できる質問(オープンクエスチョン)と、答えが一つに限定される質問(クローズドクエスチョン)という質問の仕方でも変わります。
どの様な質問、あるいは質問スタイルをとるにせよ、
人間関係であれば、信頼関係が強化されたり、良くなること
仕事上であれば業務が円滑に進むこと
が重要でしょう・・・
たまには質問の仕方を変えてみるのも良いのでは?]]>笑いが無いコミュニケーションは「真剣」「真面目」・・・という雰囲気ができるかもしれませんが、疲れますよね(w)
昨日のエントリーの「話を聞かない人に話す」でも同様です。
あなたにストレスが溜まるのは避ける必要がありますが、その場では穏やかに過ごしたいでしょう?
そのためには「笑顔」しかないんです。無理にでも笑いましょう。
「ワッハッハ!!」
そうすると不思議なことがおきますよ!!
「小さいことに抵抗していたんだなぁ・・・」
「あれ?何を伝えたかったのかなぁ・・・」
もちろん相手の人も変化します!!
これは、「許す力」なのです。相手だけではありませんよ、「自分自身」も含めてです。常に書いてることですが「自分とのコミュニケーションが最も多 い」からかもしれませんね?更に深入りするとスピリチュアルなblogになってしまいそうなのでやめます、「繋がる」とか「愛」とかをテーマにしたくなり ますからね(笑)
いずれにせよ、「笑いの効能」はたくさんあります。免疫力が上がるとか?がん細胞が消えるとか?若返るとか?・・・本当かどうかはここでは断言できませんが身体にもよさそうでしょう?
楽しいから笑うのは当然ですが、実は「笑えば楽しくなります」
「しかめっ面してるより、笑顔!」
「プンプンしてるより、笑顔!」
「くよくよしてるより、笑顔!」
友人が私の娘(当時5歳)に「幸せってどうしたらなれるの?」と聞きました。
彼女は「笑えばいいんだよ!!」と即答してました。
もしかしたら単純な事かもしれませんね。。。
さぁ!モニターに向かって笑ってみましょう!!
「ワッハッハ!!」「ワッハッハ!!」「ワッハッハ!!」・・・・]]>話をを聞かない人たちの特徴は
(注:このようなことは脳の記憶のメカニズムにも依存してるので誰でも起きます)
いやぁ・・・困った人たちです。こういう人いませんか?本人はものすごくちゃんと聞いてるつもりだから始末に悪いです「MYglasses」をかけているのですが、まったく気付かず、ほうっておけば止め処も無く自分の話をしていることでしょう。だって「内なる自分」と会話してるのですから・・・
さて、このような人が身近に居たら(何度も続けば)、あなたはおそらく「話たくなくなるでしょう」(笑)・・どうせ聞いてもらえてるわけじゃ無いのだから・・・
どの様に対応したらよいでしょうか?
・最も重要なことは「あなたがストレスを溜めないこと」です。
これだけは避けなければなりません。あまりひどいようなら「無理して話をせず、近づかない」という選択肢もあることを心に留めておきましょう。
仕事上の関係者、家族など「近づかざるを得ない場合」はどうしましょう。仕事の関係者ならできるだけ「テキスト」で対応するのも一考です。しかし「対話」が必要不可欠なのでやっぱり話をしなければなりません。
この場合は「最初から聴いてもらうことを期待しないで話してください」。理由は簡単です、「実はそれほど重要な内容ではないことが多いからです」つまり聞いてもらえてもそうでなくても現実的にはあまり変化が無いことが多いと思います(聞いてもらいたいというあなたの欲求が満たされないだけです)。だから「あなた自身が、その時の気分が悪くなるだけなのです」これは本当に馬鹿らしい結果でしょう?
なので「困った人たちに話す時は期待しない」で十分でしょう。
ただし、「困った人たちの話は十分に聴いて下さい」反対のケース(あなたが聞き手になる)場合は思う存分話をしてもらいましょう・・・間違いなく「学び」が広がります。「彼/彼女達は聞いてもらいたい人達なのです」
話を聞かない人は「自分にとって学びの対象」だと考えると良いのではないでしょうか?
さて、では本当に「双方にとって重要な事」の場合はどうでしょう?「このときは双方ともに聴く状態が自然に出来上がります」
この「双方にとって」つまり話題の中心テーマ(重要テーマ)がそもそもずれているケースが多いのです。
今後、身近な「困った人」に出会う時、学びの瞬間だと考えてみましょう・・
では、楽しんでください。]]>