お店のBGMなど気にならない時もあるし、ふと「懐かしい」感じが沸き起こるときってありますよね?
特定の曲と「思い出」がリンクしてるって感じでしょうか?
「音楽と体験が結びついている」とても重要なのです。「思い出=体験」が楽しかったのか、辛かったのか・・とかで印象が変わりますよね?
実は(特定の)「言葉と体験も結びついています」音楽と同じです。しかし、言葉は音楽と違い日常的に自分も使い続けているのであまり意識的ではないかも知れません。少々荒っぽく表現すれば、食べ物の好き嫌い、人の好き嫌い、動物の好き嫌い等も同じように「あなたと関係付けられています」このブログでは会話、対話を中心に扱っていますので、食べ物等は脇において置きましょう・・・
例えば「初恋」という言葉があります(「初体験」でもいいですよ)。どんな感じですか?何か思い出しましたか?名前とか、場所とか、その時の会話とか、風景とか感触とか再体験出来ますか?しばらく「懐かしんで」下さい(笑)・・・・
↓
↓
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そろそろ宜しいでしょうか?(爆)
初恋という言葉は「初恋を体験」しなければわからないのです。
「なんかこう、モヤモヤした感じとか、ふわふわした感じとか、ドキドキした感じとか・・・」
上手く表現できない感覚があなたの内側で沸き起こってきて、その時「この」体験と「初恋という言葉を結びつけるのです」(体験の言語化)
ついてきてますか?ちょっと回りくどい書き方してるので心配です(爆)言葉が後付けです。これ重要です。
で、なぜこのようなエントリーを書いているかと言えば、
「言葉」は人それぞれ「違う体験」なのに「同じ言葉」を使うからです。
「初恋」で嫌な思いをした人が居ます、いい感じだった人も居るでしょう?微妙な違いがコミュニケーションにおいて差異が生まれるところですね。同じ音楽を聴いて「悲しくなる人」と「優しくなる人」が居ても不思議ではありませんね。
誰かの話(言葉)にも同じように、あなたとは差異があります、少し注意深く聞いていれば、とても気持ちの良い会話が楽しめるはずです。微妙な違いが感じ取れるようになると「あなた自身」と「誰か」の関係はよくなるでしょう。
楽しんで下さい。
よい週末を・・・
特にあなたにとって取るに足らない話だとしたら・・・話を聞かない人は得てしてそういう傾向がありますし(笑)
それでも、相手の話を聴き続けましょう。
あなたが誰の話でも苦痛なく聴ける人だとしたら、あなたの周りには多くの人が集まることでしょう。
多くの人はわかちあい、わかりあいたいのです。話の内容があなたの意にそぐわないとしても・・・
コミュニケーションは「わかりあえない時にだけ必要なのです」
意見が対立することもあるでしょう。見解が違うこともあるでしょう。だからこそコミュニケーションが必要なのです。
「意見が対立するこ事」と「人が対立する事」を混同してはいけません。とても重要なポイントです。戦うためのコミュニケーションは不毛です。おそらく歴史上の争いが起こった理由はこの一点に集約されるのではないでしょうか?愚かです。
聴くことに本来テクニックは不要でしょう。素直に聴けくだけで十分でしょう?
なんとなく分ってもらえますか?精神論ですが、これまでの記事を読んでいただいてるならもしかしたら理解してもらえるかなぁ・・・
12月も後半ですね、お身体大切に!!
]]>「面倒だな・・」「嫌だな・・」「申し訳ないな・・」といった感情があなたを支配している事でしょう。しかし良く考えてみると実はまだ何も「起きていない」のです。この感情はあなたの思考やイメージによって「あなたの内面」に作り上げられたのです。他の誰かが作った感情ではありません。だとすれば感情の作り手であるあなたは、もしかしたら「感情を作り変える」事ができるのではないでしょうか?
そもそも、ネガティブな感情はどのようにして発生したのでしょう?あなたの「過去の体験」が「自動的に」イメージとして出来上がるように設定しているのかもしれません。もし「過去の体験と、これから体験する出来事」が全く同じなら合理的です。しかし全く同じ体験のはずがありません。「似たような出来事」のはずです。
他方、好きなことを始めようとする時「わくわく」します。これから体験する事に対してポジティブな感情を作っているのですね。これもまたあなた自身が作り上げています。ポジティブであれネガティブであれ、「感情はあなたが作り上げる」のです。どちらの感情がアクションに弾みがつきそうです?答えは簡単です、「ポジティブな感情」ですね。
では、どうしてネガティブな感情を作るのでしょう?単純に表現すれば「過去に役にたったことがあるから」です。誤解を招くかもしれませんが、その感情を「あなたは好んでいる」のです。「不安」になるのが好き、「嫌な気分」になるのが好き・・なのです。過去にこの感情を作ることで「学習した体験」があるからです。人はどんな事をするにしても「肯定的意図」を持っています。
これから起きる出来事にたいして、アクションに弾みを付けたければ「ポジティブな感情を作りましょう」お決まりのパターンから抜け出せて全く違う結果が手に入るかもしれませんよ!!
]]>馬鹿、莫迦 バカ、baka・・・文字はどうでもいいです。ここでは馬鹿を使います。馬鹿と無知は違うというのはわかると思います。「無知は知れば」馬鹿ではなくなるのですから・・・
では、みなさん、一人でも二人でも馬鹿を思い浮かべて下さい。
馬鹿にも色々あるのでちょっと区別しておきましょう。あなたのイメージした馬鹿はどんな馬鹿か確認して下さい。(勝手に区別してるのでなんとも言えませんが:笑)
2-1:パーソナルな場において(知人)
とまぁ自分勝手な人というか、「自分の常識」だけでコミュニケーションをとろうとする人が多いのではないでしょうか?KYな人もこの中に入るでしょう。人の話を聞かない人は大抵この区分に入りそうです。
「あなたの常識外の人」=馬鹿となります。
2-2:パブリックな場において(知人ではない)
こちらは「社会通念において常識外な人」「社会一般から見ると非常識な人」となるでしょう。こちらも決して愉快になるわけではなく、「不愉快」あるいは「不快」になるので「馬鹿」なのかもしれません。しかし2-2は所詮知らない人ですから、そのまま放っておけば「我慢」ということで収まるかもしれません(居酒屋であまりにもうるさくて「ちょっと静かにしろ」とか言って関係を持つと面倒なことになることもあるでしょう?)
「社会の常識外の人」=馬鹿となります
ここまでは昔の歌(古っ:爆)にあったように
♪「右を向いても〜左を見ても〜馬鹿と阿呆のにらみ合い〜」となるのでしょう?
3. そして、最も判断に困るのが実は馬鹿なのかどうか判断できない人が居ることです。「馬鹿と鋏は使いよう」といわれる程度ならまぁそれなりに対応もできるでしょうが、あなたの常識外であるばかりではなく、社会通念上の常識外だとしたらどうでしょう?
まず、この手の人に出会うと「愉快ではありません」しかし「不快でもない」のです。とちらかといえば「引く」さらに激しくなれば「ドン引き」です(笑)
人は初めて出会う出来事に対して「恐怖」「不安」を抱くのが通常です。だからこそ「あなたの常識外の人に出会う」と近づくよりも避ける行動をとりたがります。
あなたの前に知り合いが現れて、あなたに次のように伝えます
「君の見てる世界は天地が逆転してるんだよ」(空が下で地面が上)ってね・・・
あなたはどんな反応をするのでしょう?「はぁ??」となりますか?それとも「その通り!」となりますか?それとも「馬鹿じゃない!?」となりますか?
さて、コペルニクス(天文学者)をご存知ですね、天動説(地球中心説)から地動説(太陽中心説)にパラダイムシフトを起こした人です。それまでの常識を文字通り180°変えてしまった人です。コペルニクスは馬鹿ではないでしょう?しかし、彼の主張を社会はすぐに受け入れることができたでしょうか?
「おおもの」か「おおばかもの」か区別できないかもしれません。そして「避ける」対応をする人が多いのです。
簡単な考察ですが(それも私の勝手な:笑)
馬鹿にもいくつかのモデルがある気がしませんか?冒頭に書いたように此処に書いた理由は「あなたの周りにも必ず居る」ということです。すべて「馬鹿」というラベルを付けるのではなく、異なったラベルを付けると違う対応ができるかもしれません。それでも対応が無理なら「その人から離れて下さい」なぜなら、「あなたがストレスを溜めるのはどうしても避けなければならない」からです。
最後になりましたが、この記事を書いてる私は多分馬鹿です、なぜなら、「ゴルフを優先する、ゴルフバカ」だからです。この手の馬鹿は大勢いるので安心してるのが大馬鹿なんです。もちろん他でも折り紙付きの馬鹿といわれても気がつかないのですが(爆)
]]>私達の脳が適当に処理することで、私達が環境に対して適切に(都合良く?)対応できるのです。
「聴く」のはテキストベースのblogでは困難なので厳しいですね。お目にかかればリアルに「話をいかに聴けていないか!」を痛感していただけるのですが(笑)
時間があればこちら「空目」もご確認下さい。
]]>面白き こともなき世に 面白く すみなすものは 心なりけり (高杉晋作)]]>
「面倒だな・・・」「まいったなぁ・・」「あーあ・・」・・・・ 「よっしゃ!」「次ぎ行ってみよう!!」「よォーし・・」・・・なんとなく違いがあるでしょう? 私達は感情をコントロールするだけで行動に変化を起こすことができるのです。感情は自分自身で作っているからこそコントロールできるのです。結果に対するイメージや状況を先に味わうことも大切です。ネガティブなら「嫌な感じ」になってるはずです。ポジティブなら「いい感じ」になってるはずです。 そして、ネガティブな感情を持ったときにこそ、「感情とコト(状況)を切り離す」です。これを結びつける必然性はどこにもありません。 あえて言えば「あなたの癖」でしかないのです。自分が積極的・建設的になれるなら好ましいでしょう、逆なら「その癖」を変えてみるのも悪くないかもしれません? 明日は月曜日、雨で寒く、おまけに朝一からクレーム処理、更に風邪気味で少し熱があるとしたら? 会社休みましょう(爆) こちらも少し関係するかな?「リーダには・・・・」 ]]>
日常的なコミュニケションの中で大多数の方は「質問そのものを意識してはいないかも知れません?」
「今日の晩御飯何にする?」「今度のお休みどこに行く?」「もう○○は終わったの?」「○○って知ってる?」・・・これらはすべて質問の形式になっています。(もちろん少しずつ意図は違いますよ)
さて、「良い質問」とはどの様な質問でしょう。一言で言えば「素直な質問」です。
「知らないことを質問する」「興味・関心のあることを聞く」・・・このような質問はとても素直な質問です。
当然、「あなたは良い聴き手」になっています。そして、お互い十分な意思疎通が行われ、信頼関係が築きやすくなります(職業的にはラポールをとると表現)。要するに「本当に自分の聞きたいことを尋ねる」質問です。どちらかと言えば「教えてもらう」に近いかもしれません。
他方「変な質問」(←「悪い質問」としていないのはチョットわけがありますが・・・)とはどの様な質問でしょうか?
「ためす質問」「嫌味な質問」「自分が話しやすくするための質問」です。
「相手の”何か”を計るために探りの質問」・・・「○○は当然できますよね?」「○○は知ってますよね?」
「結果が既知な事を問う質問」・・(宿題がまだ済んでいないのを知っていて)「宿題はもう終わったの?」
「準備の質問(自分の話をしたい)」・・・過去記事「話を聞かない人に話をする」を参考にして下さい。
その他にもこれに類似する質問の仕方は多数存在します。しかし、これらの質問は一概に悪いと言い切れない質問です。そこには微妙な駆け引きや話題の展開などがあるため、脈絡(その場の雰囲気、今風に言うなら空気です)によって有効な質問なのです。
「良い質問」と「変な質問」なんとなく違いがありますね?
ちなみに上記の質問例で「宿題に関する質問」で、まだ宿題が済んでいないこと知っていても、
「宿題終わったの?」
「宿題難しかった?」
「宿題は易しかった?」
「今日の宿題はどんなのだった?」
・・・・と色々質問の仕方があるでしょう?
宿題に限らず、仕事上でも、いつでもどこでも誰とでも、
「今までと同じ相手」に
「今までと違う質問の仕方」で
「今までと違う答え」が返ってきます。
答えが自由に表現できる質問(オープンクエスチョン)と、答えが一つに限定される質問(クローズドクエスチョン)という質問の仕方でも変わります。
どの様な質問、あるいは質問スタイルをとるにせよ、
人間関係であれば、信頼関係が強化されたり、良くなること
仕事上であれば業務が円滑に進むこと
が重要でしょう・・・
たまには質問の仕方を変えてみるのも良いのでは? ]]>笑いが無いコミュニケーションは「真剣」「真面目」・・・という雰囲気ができるかもしれませんが、疲れますよね(w)
昨日のエントリーの「話を聞かない人に話す」でも同様です。
あなたにストレスが溜まるのは避ける必要がありますが、その場では穏やかに過ごしたいでしょう?
そのためには「笑顔」しかないんです。無理にでも笑いましょう。
「ワッハッハ!!」
そうすると不思議なことがおきますよ!!
「小さいことに抵抗していたんだなぁ・・・」
「あれ?何を伝えたかったのかなぁ・・・」
もちろん相手の人も変化します!!
これは、「許す力」なのです。相手だけではありませんよ、「自分自身」も含めてです。常に書いてることですが「自分とのコミュニケーションが最も多 い」からかもしれませんね?更に深入りするとスピリチュアルなblogになってしまいそうなのでやめます、「繋がる」とか「愛」とかをテーマにしたくなり ますからね(笑)
いずれにせよ、「笑いの効能」はたくさんあります。免疫力が上がるとか?がん細胞が消えるとか?若返るとか?・・・本当かどうかはここでは断言できませんが身体にもよさそうでしょう?
楽しいから笑うのは当然ですが、実は「笑えば楽しくなります」
「しかめっ面してるより、笑顔!」
「プンプンしてるより、笑顔!」
「くよくよしてるより、笑顔!」
友人が私の娘(当時5歳)に「幸せってどうしたらなれるの?」と聞きました。
彼女は「笑えばいいんだよ!!」と即答してました。
もしかしたら単純な事かもしれませんね。。。
さぁ!モニターに向かって笑ってみましょう!!
「ワッハッハ!!」「ワッハッハ!!」「ワッハッハ!!」・・・・ ]]>話をを聞かない人たちの特徴は
(注:このようなことは脳の記憶のメカニズムにも依存してるので誰でも起きます)
いやぁ・・・困った人たちです。こういう人いませんか?本人はものすごくちゃんと聞いてるつもりだから始末に悪いです「MYglasses」をかけているのですが、まったく気付かず、ほうっておけば止め処も無く自分の話をしていることでしょう。だって「内なる自分」と会話してるのですから・・・
さて、このような人が身近に居たら(何度も続けば)、あなたはおそらく「話たくなくなるでしょう」(笑)・・どうせ聞いてもらえてるわけじゃ無いのだから・・・
どの様に対応したらよいでしょうか?
・最も重要なことは「あなたがストレスを溜めないこと」です。
これだけは避けなければなりません。あまりひどいようなら「無理して話をせず、近づかない」という選択肢もあることを心に留めておきましょう。
仕事上の関係者、家族など「近づかざるを得ない場合」はどうしましょう。仕事の関係者ならできるだけ「テキスト」で対応するのも一考です。しかし「対話」が必要不可欠なのでやっぱり話をしなければなりません。
この場合は「最初から聴いてもらうことを期待しないで話してください」。理由は簡単です、「実はそれほど重要な内容ではないことが多いからです」つまり聞いてもらえてもそうでなくても現実的にはあまり変化が無いことが多いと思います(聞いてもらいたいというあなたの欲求が満たされないだけです)。だから「あなた自身が、その時の気分が悪くなるだけなのです」これは本当に馬鹿らしい結果でしょう?
なので「困った人たちに話す時は期待しない」で十分でしょう。
ただし、「困った人たちの話は十分に聴いて下さい」反対のケース(あなたが聞き手になる)場合は思う存分話をしてもらいましょう・・・間違いなく「学び」が広がります。「彼/彼女達は聞いてもらいたい人達なのです」
話を聞かない人は「自分にとって学びの対象」だと考えると良いのではないでしょうか?
さて、では本当に「双方にとって重要な事」の場合はどうでしょう?「このときは双方ともに聴く状態が自然に出来上がります」
この「双方にとって」つまり話題の中心テーマ(重要テーマ)がそもそもずれているケースが多いのです。
今後、身近な「困った人」に出会う時、学びの瞬間だと考えてみましょう・・
では、楽しんでください。 ]]>まず、話しをするのは「話を聴いてくれる誰かが居る」と思うからなのです。親しい人もいるでしょう。チョット嫌な人もいるかもしれません。もしかし たらペットと話す時もあることでしょう・・・ペットには普通名前をつけますね、そして家族のように付き合うことも多いでしょう。呼びかけ、話をして過ごす こともあると思います。(ちなみに我が家には2匹の犬(♂♀)2匹の猫(♂♀)、金魚がいて話します:笑)更に言えば植木や花に話しかけることもあるで しょう・・・
「話をする相手」を必要とし、話したいと思う「あなた」がいますね。さて、あなたの話(声)を真っ先に聞くのは誰でしょう?
「もちろんあなた自身です」・・これわかりますよね?(ここでは身体的機能であるとか脳の働き、骨伝道などの話は割愛します)
誰かに話をして、次のようなことを感じた時はありませんか?
「話終えて、初めて自分が言いたかった事がわかった」とか、「口に出してみて、何を伝えたいのかがわかった」とかです。
つまり「言葉を発した後に話したいこと自覚する」
これは「言葉にしたあと」に「実感として意味や価値を体験する」ということですね。
このことはあなたが「話し手」の時は常に自覚できるかもしれません・・・ではあなたが「聞き手」の時はいかがですか?
「誰かさんが話し手です。もしかしたら言葉を発した後で本人が自覚」してるかも知れませんね?「あなたと同じように・・・」
この記事で伝えたいのは「言葉の後の体験を聴く」です。これが話すことなのです。
あなたと同様に誰かも話しをしていることでしょう・・・
そして、最も大切なことは「聴いてくれる人の存在そのもの」かもしれませんね・・・
その人がたとえあなたの意に沿わない反応であったとしても・・・ ]]>耳は「音を聞く器官」ですね。つまり言葉になるのは「音」に「意味」を付けてるということです。耳だけで「相手が何を伝えたいのか」はかなり把握で きると思います。声のトーン、テンポ、リズムなど親しい人なら「気分や感情」まで「耳を澄ませば」聴こえてくるはずです。電話でも伝わってきますから、か なりの情報量ですね。しかし100%ではありません。
まず「耳を澄ませば」という条件は「あなたがしっかり聴こう」という意思が必要です。自分が何かを伝えようとしてる時は正反対の状態ですね。営業の 場面など一生懸命プレゼンしても相手は聞いてないかもしれません。そもそも営業してる本人が聞いてないのですから・・・また、反論、異論のあるときなども 「あなたは自分が言いたいことを準備してます」
耳はその構造上「全ての音」を拾っています。喫茶店で会話している時に録音してみると、あまりに雑音が多いのに驚かれることでしょう・・・食器の 音、他の人の声、扉の開閉・・・あらゆる音が録音されています。しかし、私達は「意識して聞いてる音だけに意味づけして会話しています。」、本当に聴いて いるでしょうか?ポイントは「誰が意味づけ」しているのか?と いうことです。もちろん自分ですね。ではその意味付けは相手(話し手)の「意味」と合致しているのでしょうか?あるいは価値観や感情、気分を聞き取ってい るのでしょうか?また、話し手の伝えたい「重要なパーツ」と一致してるでしょうか?もしかしたらどうでもよいことを重要として聴いてるかもしれません。も しかしたら違っているかもしれません・・・
そこで、次に「目」で聴くことも重要になります。
「話し手」のしぐさ、表情、目の動き、手の動き・・・不動のまま話す人はあまりいません、大方の人は多少なりとも「アクション」があります。このア クションには「音(言葉)」にならない要素がかなり含まれています。同時にアクションだけではなく、服装や持ち物もその人を現しています。(アピアランス と表現)それとなく失礼の無いように観察してみましょう。
それまで「聴こえなかったメッセージを観る」ことができます。
更に「身体(からだ)」で聴く
(本来なら「身体に尋ねる」としたいのですが、少々スピリチュアル系のコンテンツになりそうなので控えます:笑)
これは多少訓練が必要かもしれません、慣れている人なら簡単ですが・・・まず、日常的にあなたは自らの身体とどの程度コミュニケーションをとっているか?が重要です。肩がこったとか、腰が痛いとか・・「異常があれば気になる」程度では少々困難かもしれません。
もしあなたが、日常的に微細な身体の状況を察知できるなら、「身体で聴く」事が可能です。多分話し手の「声やアクション」以外に発信しているメッ セージをダイレクトに「受け取るはずです」これは「意味付けや価値付け、解釈・・・」といった評価は無いでしょう。「勘」という表現が近いかもしれません (が勘ではありません)。「頭で理解すること無し」に「身体でわかってしまう」のです。実はBody全体は素晴らしい感覚器なのです。上手に活用している 人は少ないですが・・・(本当は身体「が」聴くと書きたいのですが・・・)
しばしば言われることでありますが、「聴」くという感じは 「耳+目に心」ですね。特に心の反応は素直に身体に現れるものです。それを察知できるかどうかはコミュニケーションにおいて重要な役割を持っています。
自分の身体とコミュニケーションをとってみましょう・・・色んな発見があると思いますよ。
耳で、目で、身体で・・・楽しんでください。 ]]>なぜなら、その時のあなたの「内なる会話」を現せてくれるからです。
ここでポイントは「誰かを意識してつぶやくか否か」でしょう・・・
誰かを意識した場合には「繋がりを意識してる(twitterは基本的にはネット上のつながりですけど)」はずです。
それが好意であれ、敵意であれ・・・
実際に口でつぶやくのと、「テキスト」として表記するのは少し違い、「十分に整理された形」で表現されます。また、あとで読み返すこともできますね。「少なくともその時の自分」とコミュケーションがとれる状態になっています。
つまり、twitterはつぶやきといっても少しだけ「遅れ」があるのです。この遅れがある種の冷静さを保ちながらのつぶやきになるのです。メール のやり取り、チャットなどテキストでの会話は少しの遅れがあるので「聴く(読む)」「話す(書く)」にプラスして「考える」時間が発生します。
しかし、リアルな会話になると、時には「相手の話を遮って」話し出すこともありますね。ほぼ衝動的に口に出てしまうのです。ものすごく早い反応で対応します。これでは「聴いてる暇」はあまり無いかもしれませんし、考える時間もあまり無いかも知れません・・・
これはとても「聴いてる」とは言えないでしょう・・・
それでも、あなたは聞いてると思うし、実際に聞いてるのです。ただしいつものMYglassesをつけてはいますが・・・
さて、他方、「繋がりを意識しないでつぶやく」時があります(もちろん口に出すか、出さないかは問いません)。
あなたの口癖は「あなたの人生を作ります」それも確実に作り続けます。
あなたはどんな口癖が多いですか?
「まぁいいか・・」「やっぱりねぇ・・・」「しょうがないか・・・」「めんどうだなぁ・・・」「おかしいなぁ?・・・」「なんでこうなるんだ?」「あれ?」「忙しい・・・」「つかれた・・・」「よっしゃ!!」「カンペキ!!」・・・その他にもたくさんあるでしょう?
口癖はあなた自身の会話なのですから・・・・
ちなみにこちらが私のつぶやきどころです(笑)
]]>コミュニケーションというよりリレーション(関係)と表現した方が分かりやすいかも知れません。
多分あなたの周りにはたくさんのモノがあることでしょう。
それは、日常生活で使う道具かもしれません、写真や絵画なの装飾品かも知れません・・・
簡単に手に入るモノならそれほど意識的にはなりません、それはコミュニケーションをとる必要すらないからです。
たとえば、スーパーで買い物をしたときの袋(もちろんゴミ袋として再利用することはあるでしょう)などあまり意識的に取り上げないでしょう
では、買ったまま読んでいない本、あるいは読みかけの本、目に付くところにあれば「気になります」
窓ガラスや床の汚れ、ゴミ・・・
物置にしまってある不用品・・・
これらは意識する時があります。もしかしたら今、あれこれ思い出したかもしれません・・・
写真立て、一緒に写っているのは「友人でしょうか?、家族ですか?」
花瓶のお花、綺麗ですね
・・・
さぁ。少し身の回りを眺めてください。些細なモノもできるだけ「しっかり」と、そして「ゆっくり眺めてみましょう・・・(実際に眺めてください)
↓
↓
(眺める時間)
↓
↓
↓
お帰りなさい、いかがですか?たくさんモノがあったでしょう?そして「それぞれと対話」したのではないでしょうか?
「少し整理しよう・・」「こんなときもあったな・・」「そういえばこれ使ってないな・・」「これ返さないと・・・」「彼/彼女はどうしてるかな?・・」「何でここにこれがあるんだ?」「・・・」
身の回りのモノと対話してる?もちろん内なる会話として「自分との対話」になります。あなたが気分良く過ごしたいなら「気分の良くなる状態にモノを処置」すると良いかもしれません。
さて、読者の中にもしかしたら「モノの名称だけを見ただけ」という方が居ることでしょう。「かばん」「携帯電話」「スリッパ」「窓」「床」「・・・」もしあなたが「このような眺め方」をしているなら「眺め方を観察」すると何か発見があるかもしれません。
中には身の回りの小物を片付け始めてる人もいる事でしょう・・・
このようにして日常的に「無意識に」私達はモノ、実際は「自分自身」とコミュニケーションをとっています。それも物凄いスピードで、大量にです。
モノは無言です。純粋に「自分との対話」であると気がつくことでしょう。
では対象が「モノ」ではなく「ヒト」ならどうでしょうか?当然無言ではありません。しかしながら、それでいて尚「自分と対話してしまう」時が多いかもしれません。
「相手が話す、あなたは それ以上に話しているかも?実際に声に出さなくてもです。」・・・
]]>・・・・・「常に穴が開いている状態の耳は、音を選り分けたりできませんから、結局はどのように脳で処理されるかということになります。なので、『良い耳とは?』と聞かれたら、『聞こうとする積極的な意思がある人の耳』と答えますね」
つまり、「聞こえない」ではなく「聞いてない」ということなんですね。耳のせいにする前に(話している人のせいなんて言語道断!)、自分の“聞く態度”を改める必要があるようです。・・・・・・
とても大切なことが書いてありますね。しかしながら、この大切さに気付くには長い年月がかかるかも知れません。
多くの人は「そうだよね・・・」と知識として受け取ることは可能です。しかし、「知る」ことと「気付く」ことはまったく別物なのです。
上記に書かれている内容は新鮮ではなく、どちらかといえば、昔から言われていることです。にもかかわらず「一部の人しかできていない」のが現状でしょう?
政治家とか、お偉い方は特に教えてあげなければならないかも(笑)
さて、さらに言及すれば、「積極的に聴こうとする意思」だけではなく「自分の聴き方の癖」を自覚しておかないとならないでしょう?いつものMYglassesがありますからね・・・
「知識」として受け取り、「気付く体験」を通して「実際に活用できる」このプロセスを楽しんで下さい。
とはいっても「気付く」のがとても難しいのです・・・
PS*引用記事の内容は後半は耳の健康に参考になる記事です。耳垢とかに関心がある人は後半に反応します。そして、私のような「聴き方」に感心がある人は本文のような反応をするのです。これが「MYglasses」の顕著な例です(爆)
]]>この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。この数字の厳密さはともかく、私達はNon-Verbalな要素、つまり言語以外の要素がコミュニケーションには重要で言葉そのものはたったの7%しかないんだといわれる時があります。実際服装や髪型など見た目も重要です。声の抑揚、トーン、話すスピード、リズム、テンポなのも重要でしょう。
昨日の記事に記載したように、自分や、他人を「このタイプ」として決め付けてしまうのも考えものです。
また、多くの場合これらは「ビジネスシーン」での効果的な人事、あるいは業務に活用されるケースが多いと思われます。
コーチングで使われる、コントローラー、プロモーター、サポーター、アナライザーの4タイプと似ているかな?
カウンセラー、コーチ、インストラクター、トレーナー・・・呼び方は色々あるでしょうが、一定のスキルや知識でクライアントと対応されているとは思います。
何か解決したいと思うテーマを抱えている人も、自分は特に何もないという人も、プライベートでも、ビジネスシーンでも、上記のような方とのセッションを上手に活用できればあなたに大きな変化があるでしょう。人生にはタイミングという計り知れない「時の采配」があると思います。いつかお目にかかるかもしれないし、そうでないかもしれません。
Blogという文字だけのお付き合いですが、参考になるような、あるいはなるかも知れない記事をこれからもupしていきます。
では良い週末を・・・
]]>しかし、コーチングやカウンセリングで使われるような区別化の方法になると「いかにもそれっぽい」(信頼性が高そう)です。エニアグラムは9つのタイプ、TA・エゴグラムはPACの波型によるタイプ、DiSCは4つのカテゴリー、チョット砕けますが、動物占い等・・・学術的な背景、実績、または宗教的背景なども含めて説得力もあります。
(読めないかもしれませんが)この表はDiSCの4タイプです。過去記事の「秋といえば」に記載しているAVKも同様に区分化しています。(AVKは上記のタイプ分けとは少々違い、単独では機能しないと考えてください)
まったくずれているわけではありません。またこれをのジャンルで専門家の方も大勢います、成果も挙げています。
このブログ読者の皆さんも「有効に機能する」なら活用する価値はあるでしょう。
ただ、私達はそれほど簡単に「ラベルリング」できるほど単純ではありません。後天的に手に入れてきた要素も多いはずです。
一人ひとりはとてもユニークで独自の存在であることを忘れてはいけません。
更に、私達は固定化されているわけではなく常に変化しているのです。
そしてその独自性がたまたま「一定の条件(状況・環境)において」好意的に受け取られたり、敵意をもって見られてたりします。また仕事では高い評価や低い評価が与えられたりするだけです。地域や社会背景が変化すれば評価が変わります。会社や職種が違えば当然評価は違います。「たまたまの条件」で「そのときの評価」なのです。
重要なことは自他共に「タイプ分け」することではなく、まして、それに「良し悪し」「好き嫌い」の価値付けをするのではありません。「自分は何が可能なのか」と問いかけることかもしれません。
大人同士の関係であれば、特に仕事上の関係であれば「冷静さ」を保つことが可能?(内面ではイラダチがあるかもしれません・・・)
では親子とか夫婦ではどうでしょう?感情的な会話になりやすく、「あんたは、いつも○○なんだから・・・」と決め付けてしまうことも多いのでは?親子なら「有無を言わせぬ力関係」があることも見逃せません。
どうでしょうか?「その時の状況で、自分は何が可能か」と問いかけてみて下さい。
ちなみに私は「B型、タイプ7、M型、Di型、チータ、A」です(爆)
まったく同じタイプの方でも、私とはまったく別人でしょう?
知識や、経験も違います。仮に同じタイプだとしてもまったく別人になるのは当然ですね。
]]>これは有名なジョハリの窓といわれるもの図です。ジョー(ジョセフ・ルフト)とハリー(ハリー・インガム)という二人の提唱者の名前を合成して作られた名前です。ここでは、「知=知っている:不知=知らない」程度に理解をしておいてください。
?開かれた窓、公開されたあなた、openself
?盲点の窓、他人から見たあなた、Blind Self
?秘密の窓、隠されたあなた、Hidden Self
?未知の窓、自他共に知られていないあなた、Unknown Self
といわれる「窓」です。コミュニケーションの食い違いがおきやすいのはもちろん?、?です。
「誤解」や「つもり」が起こりやすい部分ですね。
?はともかく、?は自覚がないので実は「発見すること」そのものが難しいわけです。他人からのフィードバックを頼りに見つけるしかありません。(お 互い様かも知れませんが、)「なぜ彼/彼女は***な態度/反応をするのだろう」と考察するればOKです。もちろんPerfect listeningで は扱いますが、日常の何気ない会話が、自己の発見に繋がることが多数あります。誰かの話を注意深く聞いてみたり、自ら尋ねるのも良いでしょう。その時、 「良し悪し」「正誤」の判断はせず、できる限り「そのまま受け止めましょう」
なぜなら「あなたの潜在的な可能性を引き出すチャンス」だからです。これを「能力」使って表現すると
?顕在能力
??保有能力
?潜在能力
と言い換えることができます。上図で?の部分を大きくしている理由がここにあります。私達には自他共に知らない「潜在能力」が物凄くあることを引き受けてください。
顕在能力を大きくするには?→?、あるいは?→?となります。このことは即ち、保有能力を自他共に「知る」ことですね。
具体的には、
?→?:他人から「あなたは●●な人」と言われた時に「一度受け止めてみると良いでしょう」もちろん肯定的なら受け入れやすですね。逆に否定的ならムッとするかも知れません。しかし、それでも尚、「その人から見れば●●な人」です。
?→?「私は○○な人です」と他人に伝えることです。これも否定的なら表現するのにためらいがあるかもしれません。もちろん肯定的なら表現しやすい でしょう。この場合「相手の反応が気になる」かもしれませんが、その反応そのものがコミュニケーションとなります。先述したように「良し悪し」「正誤」の 判断はできるだけ避けましょう。
これら全てがフィードバックです。あなたの態度や行動、言動が「周囲の反応」の原因となっているのです。周りを愉快にしたり活気あふれる雰囲気にす ることもできます。もちろん逆に暗くしたり、険悪な雰囲気にすることも可能です。言葉だけではありません、表情、身振り手振り全てが「あなたを表現」して います。
能力は発揮されてこそ能力として意味があるのと思います。「あなたならできるのに・・・」「私ならできるんだけどなぁ・・・」これはとてももったい ない事ですね。誰かが期待をこめて話していると感じたら「その人からはそう見えているのです」、他に誰もいなくても「自分がそう思うなら実行してみましょ う」
「話しを聴く」「話をする」実は同質の能力、技術です。潜在的に持っているあなたの能力を最大限に引き出すことは、あなたの可能領域を拡大することに他なりません。是非楽しんでください。
こちらも参考になるかな?一言でまとめてますけど・・・
こちらは似てるけどチョット違った観点からです。
]]>↓
↓
↓
たとえば、
紅葉ですか? 虫の声? それとも、ゆったりと温泉に浸ってる? ・・・人それぞれの連想がありますね。
なぜ「人それぞれ」なのでしょう?そうです。それまでの体験の仕方が違うからですね。(体験の違いではなく「仕方」です)
今回は違いの種類について書いておきましょう。上記に書いた3種類はどれもありそうな内容を書いています。そして違いがあるのはその表現されているポイントです。
大まかに分類すると3種類になります。あなたが連想したのはどのタイプでしたか?
代表システム(とか表象システム)といいます。3つの代表システムは全ての人が持っていますが、その働き方に差異があり、得意とする代表システムをよく使います。「優先的代表システム」といいます。
実はこの違いが、コミュニケーションを図る際にとても差がある部分です。
自分の持つ「優先的代表システム」を使ってコミュニケーションをとることが多いので、たとえば「過去のことを思い出して話す時」「将来について話す 時」など違いがあります。AVKそれぞれの特徴的表現を使います。この特徴を掴んで(理解して)会話をすると「効果的」にコミュニケーションが図れます。 自分と相手の代表システムが同じなら比較的楽にコミュニケーションがはかれます。ただ、違いがあるとストレスが溜まる会話になるかも知れません。
それぞれの特徴については今後のエントリーで少しずつ扱っていきます。
まずは、自分がどんな表現を使うことが多いのかを「観察」して、自分の「代表システム」を確認すると良いかもしれません。
他人との比較において「違い」があるだけで「優劣」があるわけではありません。
テレビCMを考察すると3つの代表システムがバランスよく織り込まれているのがわかります。(こういう見方をすのは私の本業の癖ですけど:笑)
たとえば、ビールのCM等を思い浮かべてください。
TVですから
「映像」はそのまま「V」の人に伝わります。(もちろん照明など輝きを上手に利用してます)。
「ビールを注ぐ音」「栓を開ける音」などの効果音・・・「A」の人にも伝わります。
それを飲んでるタレントのコメントが「のどごしがいい・・・」「切れがある・・・」等の表現と「しぐさ」これで「K」の人にも伝わります。
どうですか?「見事に全てのタイプの人に訴求する」ようデザインされているでしょう?
万人に向けて発信される広告はすべの人と「コミュニケート」したいのですから当然ですね。
あなたは誰と効果的なコミュニケーションをはかりたいですか?
]]>私達には事実をありのままに受けとっているのではなく、「自分なりに受け取っている」のです。
このテーマはPerfect listeningでは終始扱っていきます。
今この文章を読んでいるあなたは「自分の声を、声に出さずとも聞いているはずです」
「同じ文章」でも読む人が変われば「受け取り方が変わります」特に補足する必要もないでしょうが、同じ映画を見ても、違う印象になるのと同じです。
実はこの違いこそ「あなたらしさ」を確認できるポイントですね。
色々考えられますね。そもそも私と面識のない人は「こいつ何者なんだ?」といった感じで読んでいるかもしれません。(笑)
平易な言葉で書けば「癖」です。難しく書けば「観念」とか「パラダイム」とかです。これが一人ひとり違うからこそ、「同じ出来事」なのに「違う体験」をするのですね。
良し悪しはありません、しかし「自分の癖」を知っていることは役に立つ可能性があります。
今回は、深く触れませんが「価値のフィルター」「信念体系」など様々な要素が「あなた」をつくっています。あなたらしさをつくる「フィルター」を「MYglasses」と言っておきましょう。(複数形がポイントです。)
サングラスが光を遮リ、眩しさを防ぐように、「MYglasses」も役に立ちます。
「削除」「歪曲」「一般化」という用語を使って説明することが多いですが、簡単にいえば、冒頭に記述したように 外部の出来事を「自分なりに受け取っている」のです。
「MYglasses」を外すと「別世界」が現れるかもしれません。
しかし、その前に「MYglasses」を探さないとなりませんね・・・
]]>動物園の四坪半のぬかるみの中では、
足が大股過ぎるぢゃないか。
頚があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりを見てゐるぢゃないか。
身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な顔が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
【高村光太郎】
この詩を小学生の時に読んで、今でもその時の「イメージ」や「声」あるいは「全体的な感触」を追体験します。暗い印象・・シーンとした教室・・・ちょっと重苦しい感じ・・・
皆様はいかがですか?
詩を解説するつもりはありません。これは完成された作品です。
私が今でも追体験するのは理由があります。もしかしたら次のような「置き換え」をしてたのだろうと思います。
「駝鳥」を「私」に置き換えると何か発見があるかもしれませんよ!!
]]>前置きが長くなりましたが、表題のごとく「今日、1人だけに何かを伝える」としたら
「誰に」「何を」伝えたいですか?
コチラの記事も参考になるかな?
冒頭にも書いたように「お気楽」に!!
]]>今まで一番多く会話してきた相手は誰ですか?
生まれた時から考えると母親ですか?父親ですか?兄弟ですか?それとも仲の良い友人でしょうか・・・・
違いますね!そうです自分自身と会話している時間が圧倒的に多いのです。何か考え事をしたり、自問自答したり・・・声に出していようがいまいが、あなたがもっとも多く話している相手は「自分」に他なりません。
「もう1人の自分」「内なる自分」はどんな人ですか?
「その人」 がどんな人だったら良いですか?
もし「その人」を変化させることができたら、人生が劇的に変化するかもしれません・・・。
Perfect Listening ではもちろん扱います。
まずは自分で「その人」をチェックしてみるのも良いでしょう。
]]>「純粋に聴く」事は非常に困難かつ素晴らしい体験となります。それは「自分との対話」においても同様です。
この「純粋」にということ、つまり「Perfect」に聴くには、一切の思考を止める必要があるかもしれません。評価、解釈、合意、反論、推測、振り返り。。。このようなこと無しに対話ができるのでしょうか? あるいは、それを対話というのでしょうか?
対話というかどうかは脇に置くことにして、「素晴らしい体験」が手に入る可能を感じるなら試してみる価値はありそうでしょう??
日常の何気ない対話でトライすることをお勧めします。
もしかしたらコチラの記事も少し参考になるかもしれません。
]]>私がこの詩に出会ったのは今から15年ほど前でした。その時は「失意の中の光」として紹介されました。作者不詳だそうです。
誰が残したかわからないこの詩が 多くの人を勇気付けたのではないでしょうか?
他人から見れば些細なことでも、自分にとっては重大なテーマになっていることがあります。
もしかしたら、この詩を読むことで何か発見があるかもしれません。
原文と訳文を併記してあります。東洋と西洋の文化の違いがあるにも関わらず、何かが伝わってくると思います。。。
]]>教える、教育する、主体が「教える側」にあることに気付きますね?逆に「学ぶ」「学習する」とすれば主体が「学ぶ側」になります。
さて、誰かに、「教えること」はどの程度可能なのでしょうか?
私は、「教える人は存在せず、学ぶ人が存在する」と考えています。
教える人は「自身の存在も含め、学び手の環境に過ぎず、場を提供しているだけ」「学ぶ機会の提供者」です。
20年以上前、聞いた言葉 「教えるとは共に希望を語ること、学ぶとは心に誠実を刻むこと」
(フランスの詩人:ルイ・アラゴン、翻訳の違いは有るかもしれません)
とても、綺麗な表現だと感じます。更に突き詰めれば、「学び合う」まで昇華させたいものです。
]]>「問題」という言葉と「課題」の違いを感じ取れるでしょうか?
課題の方が少し「意欲的に取り組んでみよう!」という気になりませんか?
もっと違った表現で「解決すべきテーマ」にするといかがですか?
「具体的に次のアクションを考えてみよう!」という雰囲気になりませんか?
少し表現を変化させるだけで違った印象になる事があります。もちろん各自がもつ「言葉の印象」は経験的に違っているので自分が最も「意欲的、肯定的」になる言葉を探してみる事をお勧めします。
十分に取り組む姿勢が準備できたら、後は実際にアクションを起こせばよいだけです。
と分けてみるのも良いかもしれません。多くの場合、相互に影響しているので、まずは「自分だけで、今できる事」を見つけてみましょう。
もちろん、「解決」がゴールです。解決は どんなイメージなのか?どんな感じなのか?どんな状態か?実感を伴うレベルで「今、ここ」に現れていれば確実に「完了」するでしょう・・・
けっして、頭の中で堂々巡りを繰り返さないように、「考える」ことは手段であり、「現実に違いを起こす事」が目的です。
まずは、身の回りの掃除など、簡単なテーマから取り組むと発見があるかもしれません。
]]>彼女より先に昇進すると、男女差別といわれる
彼女が先に昇進すると、機会均等といわれる
彼女の服をほめると、セクハラといわれる
彼女の服について何も言わないと、気がきかないといわれる
彼女の前で泣けば、情けない男といわれる
彼女の前で泣かなければ、感情のない男といわれる
彼女に相談せずに決めると、自己中心的といわれる
彼女が相談せずに決めると、自立した女といわれる
彼女に花を買っていけば、下心が見え見えといわれる
彼女に花を買っていかなければ、配慮が足りないといわれる
自分の身体をきたえれば、ナルシストといわれる
自分の身体をきたえなければ、だらしないといわれる
彼女に体型を保ってほしいと言えば、性差別に基づく偏見といわれる
彼女の体型について何も言わなければ、私に関心はないのかといわれる
・・・・・他にもたくさんありそうですが、どうしてこんなことになってしまうのでしょうか?
関係性でしょうか?
状況でしょうか?
気分でしょうか?
何か人それぞれに、その場、その時に基準があるのかも?
]]>有名な絵なのでどこかで見た事があると思います。
地と図の関係が見事に反転する代表的な作品ですね。
振り向いてる美女?若い女性を見ると老婆は見えず、老婆を見ると若い女性は消えていなくなります。
見るという行為において「視点」でまったく違う「見え方」を体験します。
同様に聴くとういう行為においても「聴点」でまったく違う「聴き方」を体験します。(聴点という言葉があるかどうかは不明)
あなたと会話している友人は、老婆の話をしているのに、あなたは若い女性の話に聞こえているかも知れません。。。
中学の数学で図形の問題を解く時、
「一本の補助線」が正解にいたる鍵をにぎることがよくありましたね?視点が変わる瞬間です。
(図においては中心付近にある黒い丸が「耳」なのか「目」なのかがポイントかもしれません?もちろん他にもありますよ。)
同様に「聴点」が変わる瞬間が、「補助」によって手に入る可能性があります。
もしかしたら世の中が反転するほど大きな変化です。今まで一緒にいた家族や友人、知人、会社の仲間、彼/彼女・・・、ビックリするほど違うことを伝えていたのかもしれません。
視点の変化より、聴点の変化の方がわかりにくいと思われるでしょうが、実際は同じように「あっ!」という発見です。補助線と同様「一言追加」するだけで、まったく別のコミュニケーションになる時があります。
最後にお休みなのでもう一つだけ有名な「階段」の図をあげておきます。
2つの階段が見えるかな?
]]>日常的な場面では概ね「分かり合う(分かち合う)」を目的にしてるのではないでしょうか?にもかかわらず、十分に「それ」ができないために、分かり合えず対立してしまうことがあります。双方の主張は各々の「正しさ」に基づいているので、当然のことながら対立した時には「自分の正しさ」を「受け入れさせようと努力」するのが一般的かもしれません・・・
もし、双方がコミュニケーションの目的を事前に設定したなら「対立や争い」が起こらないかもしれません。たとえば
この場合、重要なのは、この「設定が十分に了解されている」ことです。日常の場面で、いちいちこんな設定をしていたら会話は弾まないので、なぜか険悪な雰囲気になった時、あるいは感情的になってしまいそうな時、少し冷静な会話を心がける意味でも役に立つかもしれません。
]]>こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんげは たごんを にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
まぁ、実際こんなひらがなばかりの文章はないでしょうが、私達の思い込みってかなり根深いものがあるかも知れません?
空目は空耳に対する造語ではなく、(1)見えないのに見たように思うこと。 (2)見て見ないふりをすること。空耳も同じように(1)聞こえないのに聞こえたように思うこと。(2)聞いて聞こえないふりをすること。
意図するかどうかは別にして「聞き違い(勘違い)」ですね!では一体は何を聴いていたのでしょう?
もしかしたら自分の内なる声を聞いていて、相手の話を聞いていなかったのかもしれません。。。
反論の筋道を立てていたとか、自分も同じような話を準備していたとか。。。
私達は「一定の癖」を持って 見たり、聞いたりしているようです。
「一定の癖」を「パラダイム」とか「観念」とか表現します。この「癖」についてはとても重要なので機会をみてまたエントリーします。
おまけ、かなりの空目?「錯覚」はこちらかも?
]]>こちらのブログにも取り上げましたが。。。。(書いてある内容をご覧になれます)内容は親父が自分の息子に伝えたいことです。実際にこのように「語った」かどうかは不明ですが、かなり断定的で指示命令的な表現です。
表現されている「言葉」より、表現のしたい「心情(背景)」を受け止めたほうが上手くコミュケーションが取れそうですね。。。といっても立て続けにこれだけのことを言われたら「ハイハイ、そうですか・・」と真剣に聞かないで流してしまうかもしれませんが(笑)
日頃の会話でも、もしかしたら「言葉」に囚われて、その「背景」や「本質」を聞き取れない時があるかもしれません。
最近ちぐはぐになった会話や、人間関係など、振り返ってみると、表現された言葉に囚われて、あるいは誤解して、相手が本当に伝えたかった「何か」を聴きそびれているかもしれません。
]]>多様なコミュニケーションも案外シンプルに整理できるのかも知れません。
あなたはどのモデルが多いですか?
冷静な会話が多いビジネスシーンでは気分とか、感情よりも合理性を優先する場合が多くなるとは思いますが、お互い気分良くコミュニケーションが取れたら更に生産性はあがるかも?
プライベートでは更に気分が良い、つまり 「気持ちよい会話」 をしたいものですね。
]]>私は今まで、経営コンサルタント、あるいは経営者として、あるいはビジネスマンとして仕事をしています。社会にでてから約30年間に多くの人と交流 を持ちながら今日まで生きてこれた事は誠にありがたいことだ感謝しております。同時にプライベートでも、家族はもちろん、友人・知人との交流によって「自 分像」がおぼろげながら確認できるようになりました。
長い時間がかかりましたが、相手の話を「ありのまま、そのまま、受け取る」ことが少しはできる様になってきたかと感じています。
「人は理解する前に、誤解する」・・・常日頃から意識していることではありますが、非常に難しいことです。
もしかしたら自分の経験から勝手な解釈や判断をすることが多いのかもしれません。特に、親しい関係においてはチョットしたコミュニケーションエラー で怒りやイライラ、不満や不安などネガティブな感情が生まれる時があります。このことは決して私だけに限らず、多くの人が持つ感情ではないかと・・・・
プライベートであれ、ビジネス上の付き合いであれ、「人と人がコミュニケーション」をとっています。
もしこの文章を読んでいただいている「あなた」が
「誰かとの関係をより良くしたい」・・・
「どうしてあの人はいつも○○なのか?」・・・
「どうして私はいつも○○なのかな?」・・・
と思うなら、Perfect Listening が役立つかもしれません。
今までと同じように「誰か」と話していても、今までとまったく「違うように聞こえる」・・・そんな聴き方が習得できたら役に立つかもしれません。
あなたは 「誰と、どんな関係」 を作りたいのでしょう?
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